草模様


近所で見つけた
昭和40年代の風景

デジカメを片手に
昭和40年代の風景を
捜してみました。



あったぜ。

ライオン蚊取り線香のホウロウ看板。

そして
ライオンの右下にある
小さな看板に 注目せよ。



藤村屋
知っている人は よく知っていると思うが
知らない人は 全く知らないと思う。(笑)
鳥居松本通りにあった
藤村屋の看板。

夢の着物と洋品の
藤村屋
鳥居松TEL2508番
有線421-13番
と、あった。


むむむむむっ  これは
古そうだ。

昭和30年代ものかも知れぬ。
かつては
清水屋か?藤村屋か?

騒がれた時代があったのです。

この写真は
町屋町の交番の前で撮りました。

幸い
おまわりさんは
交番に居なかった。

もし、見つかったら
挙動不審者として
職務質問されたかも知れない。



町屋、田楽地区には
区画整理がしていない
ところが多く残っています。



これは
大通りから町屋、田楽地区に
入っていける入り口のひとつです。


戦前から在った
古い道だと聞いています。

人、一人が歩いていける道の幅(1m)です。

すれ違う時は
どうしているのだろう?




これも大通りから 町屋、田楽地区へ
入っていける 第二の道です。(幅1.3m)

鷹来公民館の 脇にある
車が入りこめない
狭い道がこれです。



いいですねー。
昭和40年代の匂いが
ぷんぷん
します。

積み上げられた
コンクリート製のブロック塀と
赤さびたトタンの塀。
安っぽいアスファルトの
簡易舗装。

下に眼をやると
こんなのも、見つけました。





水道の元栓らしきものが
何故か 道に埋もれていた。
現在でも
使われているのであろうか?



ふたに何か彫り込んであるのだが
古過ぎて読めませんでした。

道に座り込み
何とか解読しようと試みたのですが
後ろで人の気配を
感じましたので
慌てて 立ち上がりました。


ふたに彫られた文字は
錆びのために
読めなくなったのではなく、

長い年月の間に
ここを通っていった人たちによって

踏みつけられたために
磨耗し 読めなくなったのではないか?

推理、想像しました。


昭和40年代風景捜索隊員さとちゃんは

町屋、田楽地区の
さらに奥地へと
路地を歩いていきました。



赤錆びたトタン屋根の廃屋を発見

トタン屋根には
たくたん
思い出があります。

そのひとつ。

小学校四年生だった頃
夜に風の強い台風がやって来た。
我家のトタン屋根も
数枚、吹き飛ばされてしまった。

翌朝、祖父と僕は
早起きをして
吹き飛ばされたトタン板を
捜しに出掛けた。

台風の風下だった
田んぼの方へ行ったら

あるわ、あるわ。
トタン板。

それも、まだ新しい
銀色したきれいなトタン板。

佐藤家の田んぼは
トタン板の吹き溜まりになっていた。

僕と祖父は、ちゃっかりと
拾い集めて
我家の納屋に入れました。

祖父は
「大風〔おおかぜ〕が吹いてもうかった。」

にこにこしていた。




木製の電柱を発見。

あっ、
木製の電柱だ。

デジカメを持つ手が震えました。

まだ、木製の電柱が
ここでは、活躍していた。

すっかり、興奮したのですが
少し歩いて行くと

次々に発見される
木製電柱。

〔少し、拍子抜けした。〕


帰り道で見かけた
町屋の郵便ポスト



この存在は
こちらへ引越す前から知っていた。

ポストという名の喫茶店の
看板かわりに
置いてあります。

新聞によると
間違えて郵便物を
入れられることもあるそうで
ここのマスターは
毎日チェックしているそうです。



近所の町屋、田楽地区には
まだまだ
いろいろ
楽しい
風景が在りそうです。

町屋、田楽地区を歩くと
ノスタルジーと
旅情を
感じました。


それでは、またな。


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